キーワード:アルコール依存症、うつ、ハームリダクション
48才のベテラン従業員。仕事の内容はフォークリフト操作など倉庫業務。寡黙で仕事熱心であった。毎日仕事が終わってから晩酌するのが唯一の楽しみであり、休日は昼から飲むこともあった。仕事ぶりを買われて最近では教育係も任されるようになっていたが、人にものを教えるのは得意ではなく苦慮していた。指導していた若手社員がやめてしまうことがあり、自分の教え方がいけなかったのではと自分を責め、そのころから飲酒量が増えていった。さらに欠員が出たことで、いつもより多くの仕事をこなさなくてはならず、休憩時間も取れなくなり、残業も増えた。疲弊して家に帰ると飲酒してそのまま眠る生活が当たり前になり、お酒を飲んで眠る習慣ができてしまった。最近は遅刻が目立ち始め、毎日酒臭い状態であった。お酒を飲むことを我慢し出勤する日もあったが、手が震えたり、異常な発汗、イライラとした気持ちが強く出るため、仕事にならず早退している。
アルコールを飲むことそのものは法律で禁止されているものではないため、従業員に対して禁止しにくいものですが、正しくない飲酒習慣が続くと感情的に不安定になったり、仕事上での細かなミスが目立つようになってきます。
今回のケースでは、飲酒をコントロールできないような精神的な問題(精神依存)や、飲まないと手が震えたり汗をかいたりしてしまう離脱症状(身体依存)がみられていることから、「アルコール依存症」と考えられます。アルコール依存症は進行性の病であり、事故死・自殺や、家庭や職場のトラブル、犯罪などにつながるケースもあり、社会的な問題を起こすことも少なくありません。
医学的な観点から
自殺予防総合対策センターの調査によると自殺者の2割以上が、亡くなる前の一年間に飲酒問題を抱えており、その中心となる層は40~50代の男性有職者です。「アルコール使用障害」と「うつ病」との合併が多く見られていたと報告されており、単なる飲酒の問題だけではなくその背後に隠れたうつ病の可能性や、自殺のリスクを考えて対応に当たることが望まれます。
アルコール依存症の治療は、現状もアルコールが含まれている飲料を一滴も口にしない「断酒」が主流です。しかし、アルコール依存症の新しい診断・治療ガイドライン(2018)では、飲酒量低減(減酒)が新たな治療目標として追加されるなど、近年では「飲酒問題を起こさない」ための「減酒治療」という考え方も出てきています。すぐに飲酒をやめることができない場合に、飲酒量を減らすことからはじめ、飲酒による害をできるだけ減らしていく「ハームリダクション(Harm Reduction=被害の低減)」という考え方に基づいた治療方針です。
アルコール依存症に対する薬物療法を例に挙げますと、これまでは断薬を目的として抗酒薬(飲酒時に吐き気などの不快な症状を起こして飲酒行動を減らす)が使用されてきましたが、これに加えて2019年3月に飲酒量を抑える薬の国内利用も始まりました。こちらは減酒を治療目標とするアルコール依存症患者を対象としており、飲酒の欲求を抑制することで飲酒量を減らす作用があるとされています。このように、アルコール依存症治療も従来より選択肢が広がってきているといえるでしょう。
ただし、減酒治療はすべてのアルコール依存症患者さんに行える治療ではありませんし、完全断酒が必要な場合も少なくありません。アルコール依存症は「回復」はしても「完全治癒」はしないと言われ、アルコール依存症になった人はどんなに長く飲酒しない生活を送ったとしても、再びアルコールを口にすると以前の病的な飲酒に戻ります。そのため、いかに「完全断酒」を継続できるかは依然として大事なポイントになりそうですね。
断酒の継続を目的とした治療としては、自助グループ(断酒会やアルコホーリクス・アノニマス(AA)と呼ばれる組織)といって、依存症の人達が集まって互いに断酒継続を助け合う集まりに参加することが効果的です。これは他の依存症の人の話を聞いて共感してもらったり、他人の姿を通して自分の病気への認識を深めることなどが目的です。
これらの薬物療法や自助グループは外来通院をしながら行われることが最近では多いですが、アルコール摂取に伴い幻覚が出現する場合や身体的な問題がある場合、そして離脱症状が強い場合には入院加療が勧められることもあります。適切な治療介入により回復が可能な病気ですので、できるだけ早く専門医療機関での治療を開始することが重要でしょう。
労務管理の観点から
もちろん飲酒しての就労は、飲酒そのものが業務でない限りどの企業でも就業規則で禁じられているものと思われます。しかし、アルコール依存症者が就労している場合、酩酊状態で労務につく恐れもあり、機械操作、運転などによる事故は特に注意しなくてはなりません。
業務内容に運転などが含まれる場合は、アルコールチェックを導入している事業所も多いですので、導入してない場合は、まず会社としてチェックを当たり前にするというのも一つの方法です。
また、先述の通り、うつ病との併病も気をつける必要があります。アルコール依存とうつ病が相互に作用して悪影響を及ぼさないように、仕事面で過度なストレスが生じないようにするといった配慮も必要でしょう。
自らをアルコール依存症であることを否認することも疾患の特徴ですので、いかにして受診に結び付けるかということも重要になってきます。高圧的、強制的に対応するよりも、まず酩酊していないときに飲酒に伴い起こっている就業上の問題を自覚してもらい、産業医面談などを通じて専門医療機関受診につなげることが望ましいでしょう。一般の精神科に通うより治療プログラムを有している専門医療機関があればそちらに通う方が望ましく、専門医療機関は「アルコール依存症治療ナビ」などで検索可能です。それ以外に近隣の保健所や精神保健福祉センターに相談してもいいでしょう。
アルコール依存症者と診断されている従業員が業務に就く場合、本人が断酒の必要性を認識しており、断酒継続できている事を確認し、通院及び服薬の継続、自助グループに通っている場合は継続的な参加の重要性を強調するといった対応も重要です。また、職務に関連して飲酒を誘発する恐れのある場面(忘年会・接待など)について話し合い、そこでの対処方法を相談するといった働きかけをすることは効果的でしょう。さらに、上司など関係者に対してアルコール依存症の特徴を知ってもらい、断酒して良くなった点を本人に伝えてもらったり、飲酒によって起こした問題行動をかばうことはむしろ逆効果であることもお伝えするのも大事です。
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